追究 … 未知のものや不明の事柄を調べて明らかにしようとすること
RHYMESTER「俺に言わせりゃ」
(FILE RECORDS/JPN PROMO LP/FR-004AP)
A-1 笑うな
A-2 ちょっとしたヒガミ
A-3 AB・A・O・B
A-4 何もやる気しねぇ
A-5 ユニフォーマーズ宣言
B-1 何もやる気しねぇ(INST.)
B-2 愛のなんでなんだ
B-3 ファンキー・グラマー(feat. EAST END, MELLOW YELLOW)
B-4 ヴァイオレンス・ファンタジー
B-5 ファンキー・グラマー(INST.)
B-6 ファンキー・グラマー スクラッチ用
B-7 RAP
B-8 MC ガク RAP
当時は宇多丸、MUMMY-Dの2MCと、まだDJ JINではなく先代のDJ CHOCOLATE、トラックメイカーのDR. LOOPERの4人体制でリリースされた、93年の記念すべきデビュー作ですが、LPはこの形でプロモのみ。
若気の至りとでも言うべきか、後の「EGOTOPIA」~「リスペクト」辺りで確立されたような王道感は薄く、軽薄でなんだか軟派な楽曲もチラホラあって、彼等のディスコグラフィーにおいては軽視、もしくはスルーされてることさえあるように思いますが、とは言え本作あってのキャリアなんで当ブログではスルーしません!
CDからは”イントロ”、”LIVE FROM 俺んち”、”星に願いを”、”ルーパー氏のテーマ”、”アウトロ”のスキット群に加え、なぜか”あわよくばパワー”/”あわよくばパワー”(REAL LOVE MIX)、”ワンアンドオンリー”も省いた全8曲収録(一部はインスト/アカペラも有り)。
90年代中期頃までのFILE RECORDSのプロモLP/EPは、そもそもインスト盤しか存在していなかったり、変に編集されていたりするものばかりなんで、8曲収録はむしろ善戦している方(?)なのかもしれませんが、どうせLPにするならスキット以外で全曲収録してほしかった…。
内容の方と言えば、93年頃は奇しくもキングギドラもデモを作っていた頃。
USでは西海岸ニュースクールと呼ばれるPHARCYDEやHIERO一派(DEL THE FUNKY HOMOSAPIENやSOULS OF MISCHIEF等)が人気を博していた時期で、キングギドラではZEEBRAが、本作においてはMUMMY-Dがその辺りからの影響を感じさせるラガっぽい早口フロウでラップしていたりもして、どうにも時代を感じます。
次作「EGOTOPIA」でこそ、95年という空気感の中で「リアルでアンダーグラウンドでハーコー」な姿勢を多分に意識していたものの、本作における(よく言えば)肩肘を張らない等身大の姿勢は、緩やかに今と地続きのスタイルとも言えるわけで、そういう意味ではやはり彼等の原点ではあると思います。
どれも若さ故に拙さを感じる楽曲ではあるものの、EAST END、MELLOW YELLOWが集結し、FUNKY GRAMMAR UNITによるマイクリレーが熱い”ファンキー・グラマー”がやはり聴き所。
次作に”RETURN OF THE FUNKY GRAMMAR”として続編が収録されることを思うと、90年代中期頃まではクルーとしての意識や繋がりがもう少し強かったのかもしれません。
以降、RIP SLYMEやKICK THE CAN CREW辺りも加入して大所帯化するに伴って、単なるFG NIGHTの為の括りっぽくなってクルーとしての繋がりは希薄になってく印象なんで、遅くても90年代後半ぐらいまでにクルー名義のアルバム(V.A.でも可)とか出てたら面白かっただろうな、と妄想したりします。
余談ですが、収録曲の”なんもやる気しねぇ”は、BUDDHA BRAND(ILLMATIC BUDDHA MC’S)”BEAT DOWN”(LOST TAPE FROM ’92 MIX)のNIPPSヴァース、「なんもやる気しねぇなんてエバるなバカ」でネタにしていた一曲だと考えられています。
“BEAT DOWN”は、同ラインが登場するテイクの初出こそ2001年リリースのDEV-LARGE(DEV-LARGE THE EYEINHITAE)「MUSIC EVOLUTION-α EP」で恐らくは過去音源の蔵出しで、正直何年に録音された楽曲なのか定かではないものの、仮にオンタイムでリリースされていたならBUDDHA BRAND VS RHYMESTERなんてビーフが真正面から勃発していた可能性もあったわけで、そんな想像力を掻き立てられる背景が存在します。
コメント