風見慎吾”BEAT ON PANIC” – 日本語ラップ以前【11】

シンガーソングライター編が一段落(?)したんで、今度は欽ちゃんファミリー編をスタートします!

風見慎吾_BEAT ON PANIC

風見慎吾”BEAT ON PANIC”
(FOR LIFE RECORDS/JPN 7″/7K-182)

A-1 BEAT ON PANIC
B-1 HOLLYWOOD スペシャル

ダンスシーンでも再注目される、欽ちゃんファミリー製ラップ歌謡!

現・風見しんごは、日本においてブレイクダンスの先駆者、言わば黎明期のBボーイの一人としてお馴染みかと思いますが、欽ちゃんファミリーのイメージが強い故か、どうもヒップホップ界隈からは軽視されている気がしてなりません。
84年の4THシングル”涙のTAKE A CHANCE”はラップでこそありませんが、HERBIE HANCOCK”ROCKIT”のヒットを受けて、当時ニューヨークの最先端のトレンドになっていたエレクトロビートを早々に採用、現地で身に付けたブレイクダンスと共にテレビでもパフォーマンスしたことで、お茶の間にまでその認知を広げた功績はもっと評価されてもイイような。
そんな気持ちからか、単純に今の耳でサウンドが格好良かっただけかは定かではないですが、スチャダラパーが2012年の自主盤シングル”哀しみTURN IT UP”(その後、2015年の12THアルバム「1212」に収録)でオマージュに踏み切ったのは個人的には衝撃でした!

前置きが長くなってしまいましたが、今回紹介する”BEAT ON PANIC”はその翌年、85年(昭和60年)リリースの5THシングルで、”涙のTAKE A CHANCE”でのエレクトロ路線を更にブーストさせ、ラップまで取り入れた意欲作!
ヴォーカルパートのキャッチーな節回しは前曲よろしくで悪くないのに、満を持して差し込まれるラップパートがゴモゴモして聴き取りづらいのが残念…!

ゴモゴモ言ってるラップパートは、こんな感じ。

君はいつもオンリーガール or ファニーガール
Just minutes, Hey!girl
愛はサスピション
恋はクール、それともシュール
ミステリアスにアップサイドダウン
ロマンティックに、サディスティックに
転がるオン・ザ・ストリート、君だけ

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ドアの影で、アイツが囁く
Just minutes, Only joke
アイツはドン・ファン
恋はクール、それともブルース
ミステリアスにBegin to end
闇を刺すキャッツ・アイ
たちまちオン・ザ・ストリート、君だけ

風見慎吾”BEAT ON PANIC”(RAP VERSE)

1ヴァース目は「クール、シュール」とか「ロマンティック、サディスティック」、2ヴァース目も「クール、ブルース」で韻を意識的に踏んでるフシがあるんで、ラップの方もリリックは手抜き無し!

ただ、当時でのテレビでのパフォーマンスも見返すと、見映えがする派手なダンスに入れ込み過ぎててどうもラップはオマケっぽい印象に見えて、エレクトロビートもちょっとストイック過ぎて、取っ付きやすく仕上げてた前曲よりも、やっぱりセールス的に不調だった様子(オリコンチャートでの最高位は”涙のTAKE A CHANCEが10位で22.5万枚、”BEAT ON PANIC”は13位で10.5万枚)。
そんな流れでセールス的にテコ入れが必要になったのか、”BEAT ON PANIC”を最後にブラックミュージックに入れ込むのは打ち止め。
振り返ってみれば他のアクトと同様、彼もまた単に流行として一丁噛みしたように見えますが、とは言え本国に渡ってブレイクダンスを習得してきた並々ならぬ熱量だったり、同路線で2曲リリースしているという事実も鑑みれば、仮に”BEAT ON PANIC”がせめて倍のセールスをあげていたなら、同路線が更に継続した可能性も無きにしも非ずだったのかな、と想像してみたり。

ともあれ、”涙のTAKE A CHANCE”同様、和モノの文脈でせめてもう少し評価されてもイイと思うんですが、どうでしょうかね。

コメント

  1. 「泣き虫チャチャの物語」は秋元康が手掛けたとは知りませんでした。
    本人はこの曲、不本意だったようです。

    同じ事務所の小泉今日子が「なんてったってアイドル」をリリースするころだったので、秋元氏がまとめて面倒みたのかもしれません。

    風見さんはtakeachanceかbeatonpanicのどちらかでスクラッチを導入しようとしていたそうです。でも、欽ちゃんに「戦車の音みたいだからやめろ」といわれたらしい。

    • 大上義弘さま、コメントありがとうございます。

      >「泣き虫チャチャの物語」は秋元康が手掛けた
      この部分、完全に私の勘違いでした。。作詞は、大津あきらさんですね。失礼しました。
      該当部分は削除して修正しました。ご指摘ありがとうございました。

      >takeachanceかbeatonpanicのどちらかでスクラッチを導入しようとしていたそうです
      初耳です。やっぱり風見慎吾さんは、当時ヒップホップカルチャーに相当入れ込まれていたようですね。

      >欽ちゃんに「戦車の音みたいだからやめろ」といわれたらしい
      結果論にはなりますが、85年時点でこれ以上にヒップホップやエレクトロサウンドに歩み寄っていても、日本でヒットさせるのは難しかったでしょうから英断かもしれませんね。。

      • 1983年秋に「Wild style」のプロモーションでRock Steady Crewが来た時、一世風靡がその前座パフォーマンスをやったのですが、風見さんは元々一世風靡一派。その年の夏に合同でコンサートツアーをやっていたほど近しい間柄。だから、Rock Steady Crewの一連のパフォーマンスも身近で見て影響を受けた可能性が高いです。

        風見さんは1984年の正月コンサートでブレイクダンスを少し踊り、夏には例のバックダンサーたちと「ヒップホップ」をメインテーマにした全国コンサートツアーを行っています。その年末に「涙のtake-」をリリースし、それが年明けにヒットしブレイクダンスが大ブームになりましたが、彼にとっては本来、半年前のコンサートでブレイクダンス活動は終えるつもりでした。だけど、制作側から提示された新曲が気に入らず、断るために「ダンスが踊りたい」と萩本欽一に訴え、あの曲を制作しました。サウンドも彼の意向です。彼曰く自身が好きなニューウェーブ要素が入っているそう(私にはよくわかりませんが)。

  2. >バックダンサーたちと「ヒップホップ」をメインテーマにした全国コンサートツアー
    最近でこそダンスからの観点で再評価される兆しもあるみたいですが、ラップも含めた本場のヒップホップカルチャーを輸入したという功績は、もう少し言及されてもイイ気がしますね。
    ダンスカルチャーから深掘りしたものでは分かりませんが、日本のラップカルチャーに言及したような本は何冊か読みましたが、お名前が出てこないのは少し残念ですね。

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